たまりば

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八王子市内に武田二十四将図が!信松院で1月9日まで


おはようございます、こぐまです。
今日は2017年仕事始めとなります。

仕事始めに先駆けて、昨日は自宅からも程近い八王子市台町にある「信松院」へ初詣に行ってきました。
足を運ぶのは今回で5度目かな。

こちらが、武田信玄の娘で織田信忠(信長の嫡男)の婚約者・松姫様が、武田家滅亡後の晩年を過ごされた場所ということは、以前にも書きました。

近所だからという理由で今日の初詣となったんですが、偶然にも滅多にお目にかかれない貴重な品々を拝むことができちゃったんです!






  • ひの新選組まつり、高幡不動から出陣!


    毎年、この時期に新選組ネタを書いてますが、5月11日は多摩が生んだ幕末の英雄、新選組副長・土方歳三の命日です。

    生まれ故郷の日野市内では、9日・10日に「ひの新選組まつり」が開催されました。







  • 土方歳三命日、高幡まんじゅう松月堂、「たまりばを観た」でサービス


    今日は、土方歳三の命日です。

    毎年、この時期に開催されるのが、「ひの新選組まつり」。
    浅葱色の隊服に身を包んだ参加者が、高幡不動~日野宿本陣を練り歩き、
    パフォーマンスを披露します。

    日野が生んだ英雄、新選組副長・土方歳三役は、コンテスト優勝者が務める
    ようになっていて、毎回多数の応募者の中から選ばれます。







  • 「砂川事件」を根拠に集団的自衛権は合憲?なんだそりゃ!?・・・地元・多摩住民の1人としての私見を書きます。


    連日、新聞やニュース番組で話題になっている安倍政権や自民党の、
    「集団的自衛権を憲法解釈の変更で進めちゃおうか」という動き。

    集団的自衛権を認めるかどうかは、人によって意見も違うし、
    このブログで、どっちが正しいだろうという意見は書きません。

    ただ、米軍基地のある多摩地区で生まれ育った者として、
    放っておけないとこがあるので、それについて私見を書きます。


     





  • 魂は東の君やまもらむ…土方歳三命日


    5月11日、今日は多摩が生んだ英雄・土方歳三命日です。
    石田村(今の日野市石田)の豪農の家系に生まれながら、
    新選組副長として全国から集まった腕利きの剣士を束ね、
    ついには幕府直参として名実ともに武士になった歳三。

    局長・近藤勇を支え、近藤亡き後は奥羽(東北地方)、蝦夷地(北海道)と転戦。
    最後は、箱館・一本木関門で討ち死に。



    僕の体には、土方一族の血が流れてる。
    ときどき、その顔を除かせます。

    ・一本気で、これと決めたら頑なにその道を進む。
    ・誰かを支える立場にいるのが天命だと思ってる。
    ・筋の通らないことは大嫌い。
    ・意外と喧嘩っ早く、怒らせると恐い(笑)
    ・多摩が大好き。

    この週末、日野市内では「ひの新選組まつり」が開かれます。
    新選組好きの皆さん、多摩の歴史に触れてみたい皆さん、
    ぜひご参加ください!

    ・ひの新選組まつり



    余談ですが、僕のブログのアクセス解析を見てみたら、
    土方歳三 辞世の句」というワードで検索して訪問頂くことが増えているようなんです。
    なので、あらためて土方辞世の句をご紹介。

    たとえ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君やまもらむ


    いろいろな解釈があるようですが、僕は、
    戦いに敗れて、私の体は函館の血で朽ちてしまったとしても、
    魂だけは東の君(将軍家や多摩のみんな)のことをお守りしています。
    という解釈をしています。

    今も、天のどこかで、歳三が僕らを守ってくれているのかもしれませんよ。





  • 片倉城趾公園(八王子の古城)



    八王子には、八王子城、滝山城をはじめとする城跡が点在している。
    古くは「横山党」と呼ばれる武士集団の根拠地として、鎌倉時代には幕府の支配地として、
    戦国時代には後北条氏の重要拠点として…主は変えながらも、
    関東一円を抑えるための要所であったことが伺える。

    今日は家族でピクニック気分で近くの片倉城趾公園へ。
    ここは、鎌倉幕府の初代政所別当を務めた大江広元の子孫・大江師親が建てたとされる城。
    諸説あるので、本当のところはわからないが、室町時代に彼が建てたとするのが有力な説らしい。
    我が家のすぐ近所にある廣園寺(こうおんじ)も彼によって開かれたそうで、
    山田町に住む僕たち一家にとっても、繋がりがないとは言えない城。
    なので、八王子城攻めシリーズの初戦に持ってきた。

    今は公園になっていて、里山散策みたいなことも楽しめる。
    園内には菖蒲田もあって、のどかな雰囲気。
    本丸を目指して登ると、住吉神社があって、今日はちょうど例大祭のようだった。

    JR横浜線の片倉駅から徒歩5分ほどなので、近隣の人だけでなくても楽しめそう。
    片倉って、地元の人以外は知られてもいない町かもしれないけど、
    マニアックな城攻めをしたい方、多摩の古城を制覇したい方はどうぞ。




  • 多摩の歴史も辿れる甲州ドライブ


    1日ずつ遅れて書いてる夏休みシリーズ。
    今回は、昨日13日(土)のお話。

    この日から、母ちゃんも休みに入ったので、
    じゃあ、じゃあ、一緒に庭いじりすんべぇと道具類の買い出しに出掛けたものの、
    ついつい、たまには2人でランチでもして、野良仕事はそっからだ~と、
    ハンドルを西へ…目指すは高尾山の向こう側。
    神奈川県をまたいで山梨県。

    山梨へ向かうと決めたはいいものの、世間は帰省ラッシュの最中。
    しかも、八王子インターと相模湖インターの間にある小仏トンネルは渋滞の名所。
    ここだけは避けて通らなければ…と下道(甲州街道)を選択するも、
    たまたま同じ考えのドライバーが大勢いたようで、結局、大垂水峠を越えるまでノロノロ。
    相模湖インターまで2時間以上かかりました…。

    本当は甲府に行きたかったんですが、あまりに時間がかかったので、
    少し手前の勝沼に行き先変更。

    勝沼は、京都から戻った新選組が、甲陽鎮撫隊として新政府軍と戦った地。
    以前にも訪れたことがありますが、とにかくブドウ畑が多い。
    地元の方に教えてもらった一味屋さんで「ほうとう」を頂き、帰路へ。


    途中、武田勝頼が自害したと伝わる天目山の麓を通りました。
    江戸時代、八王子には徳川家康に召し抱えられた武田の遺臣が移り住みましたが、
    そのきっかけとなった武田家滅亡の地は、
    皮肉にも新選組が新政府軍から敗走したルートのすぐ近く。
    甲州は、多摩の歴史を語る上でも欠かせない土地です。

    話は、少しだけ遡って、武田信玄の時代。
    川中島の戦いに参戦した大熊備前守朝秀という武将がいました。
    彼は重臣として遠江国の小山城主を任じられていましたが、勝頼の代で武田家は滅亡。

    この先のことは詳しくは知らないのですが、
    歴史好きとしてのオイシイ推測…もしかして、朝秀は僕の先祖で、
    武田家滅亡後、他の遺臣たちとともに八王子に移り、千人同心の一員として、
    幕府のために忠義を尽くしたのでは…?
    (うちの本家は八王子のかつての中心地付近にあります)

    あくまで推測だけど、かなり可能性は高いのでは…
    こんなことを考えながら旅すると、二倍楽しめますよ!




  • 小島資料館と小野神社( 町田市小野路町)


    こんばんワイン、こぐまです。

    昨日アップした茂吉合宿に引き続いて、2日目は町田方面へ遠征。
    生まれてこのかた、一度も(住まいは)多摩を離れたことがないんですが、
    実は町田市とはご縁がなく…数年前から気になってたとこに、
    ようやく行くことができました(^^)



    町田っていっても広いですが、別に町田駅に行ってみたかったんじゃなく…
    「小野路(おのじ)」。
    たぶん、地元の方以外には、ちんぷんかんぷんな地名でしょう…(汗)

    ここに、あにがあるかっつうと…、「小島資料館」。
    幕末から明治へと変わる動乱の時代に、日野宿の佐藤彦五郎さんとともに、
    よき理解者、支援者として新選組を支え、幕府瓦解後は名誉回復に努めた、
    名主の小島鹿之助さんという方のご子孫が運営している歴史資料館です。
    地図はこちら

    以前、ライターの仕事で新選組ゆかりの地をめぐる企画を書いていた頃に、
    もちろん取材地候補には上がっていたんですが、
    開館日が限られていることもあって、ついに連載中にお邪魔することが叶わず、
    ようやく足を運ぶことができました。

    とはいえ、この日も残念ながら休館日。
    鹿之助さん、またいずれ!



    続いて、すぐ近所にある小野神社へ。
    地図はこちら


    小野路は、武蔵国府があった府中と鎌倉を結ぶ「鎌倉街道」があった地。
    今でも、神奈川へ向けて南北に走る道に鎌倉街道の名が残されています。


    神社の脇に回りこんでみたら、柱に…セミの抜け殻。
    えっと・・・もう11月下旬だよなぁ。。。


    紅葉に見とれながら、ふとお社に目をやると…
    光っちゃっててわかりにくいかもしれませんが、竜の上に見慣れた印が…

    そう!左三つ巴!!

    確か、小島さんちと土方さんちは、縁戚だったはずなので、もしかしたら、
    同じ左三つ巴の家紋を持つ方が、この辺りにいたのかもしれませんね。


    ここのところ、う〜ん、土方のばあちゃんが亡くなってからかなぁ。
    左三つ巴を拝む機会が今まで以上に増えてる気がします。

    「左三つ巴」の家紋と「誠」って字。
    見てると自然にパワーが湧いてくる…。
    僕にとっての御守りみたいなもんです。
    手を合わせてお祈りするっていうよりは、
    こんときみたく、はっとした瞬間に目に入ってきて、
    パワーをくれる…頼もしいお印。
    そんとき、そんときで、自分や周りの人にパワーが必要なことを、
    このお印は、きっと見抜いていて、パワーをくれる。
    本当に不思議な…スピリチュアルな世界のことはわかんないけど、
    とにかく力が湧いてくるし、自分ってもんを見つめ直させてくれる。

    血かね、やっぱり…。



    小野神社裏手の里山に続く小道。
    もしかしたら、これが旧鎌倉街道かな?
    国分寺にも、よく似た切り通しがあって、そこの風景と重なる・・・。

    このときは、まだ元気に駆けっこしていたちびっ子・鳥太郎。
    この元気、いつまで持つやら(笑)








  • 萌えているのだ(2)  〜戦国末期の連立政権編〜


    こんばんワイン、こぐまです。

    すっかり昨日の「もし信長が天下統一を成し遂げていたら」の話で、
    妄想スイッチが入りっぱなしになっちゃったので、今夜も少し…。

    世間では鳩山新総理、民主・社民・国民新党の連立政権誕生で騒いでますが、
    戦国時代末期にも、そして幕末にも、これに似た体制を作る動きがありました。

    まずは戦国時代末期。秀吉の治世ですね。
    秀吉没後の豊臣政権を支えるための体制として、五大老・五奉行による
    合議制政府の組織化が進められました。

    今の政治の仕組みに置き換えたら、与党の代表者会議メンバーが五大老、
    官僚の事務次官会議メンバーが五奉行といったところでしょうか。

    五大老は関東の徳川家康を筆頭に、加賀の前田利家(死後は家督を継いだ利長)、
    中国地方の毛利輝元、宇喜多秀家、
    九州北部の小早川隆景(のちに会津の上杉景勝)の大大名たち。
    五奉行は、甲府の浅野長政(司法)、近江佐和山の石田三成(行政)、
    大和の増田長盛(土木)、近江水口の長束正家(財務)、丹波亀岡の前田玄以(宗教)
    という秀吉子飼いの文治派を中心とする面々が並びます。

    のちの関ヶ原の戦いでは、五大老、五奉行がそれぞれ真っ二つに割れ、
    最大勢力である家康から、謀反の疑いをかけられた前田家は降伏、
    上杉家は有名な「直江状」により徳川と正面から対立。
    いよいよ上杉討伐軍が組まれ東北へ……このとき上方では石田三成が挙兵。
    徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とする西軍が関ヶ原で激突!

    結果は総大将であるはずの毛利軍が実質戦いに参加しなかったことや、
    小早川秀秋が東軍に寝返ったことなどが要因となって西軍は敗北。
    徳川による江戸幕府が開かれ、200年以上も続く武家政権が誕生したわけです。

    ちなみに徳川政権下では、僕たちの住む多摩地域は幕府の直轄地、
    いわゆる「天領」と呼ばれる土地でした。
    そんな関係で、幕末の争乱期には新選組をはじめ、佐幕派が多かったんですね。


    前置きが長くなりましたが、ここで妄想スタート!(笑)


    もしも、もしもですよ…、
    利家が長生きするなり、利長が意地を貫き通して前田家が家康に屈せず、
    上杉、毛利、宇喜多や五奉行と連携して家康包囲網を確立していたら…。
    領地の石高で言えば包囲網側が上回るのはもちろん、
    家康の本拠地である関東へは上杉・前田・真田などの連合軍が、
    豊臣の本拠地である大阪や天皇のいる京都へは毛利・宇喜多連合があたり、
    東軍が組織される前に徳川単体に対して武力行使をされていたら…。

    あ、でもそうは言っても東北には家康と仲の良い伊達がいるし、
    東海は旧徳川領だしで、東日本は包囲網側も苦戦するかな…。

    じゃあじゃあ、西日本は?大阪・京都は?
    こっちは毛利・宇喜多に加えて、薩摩の島津とか、近江の石田とかいるし、
    さすがに包囲網側が勝てるのでは…。

    そうなってたら、もしかすると東日本には征夷大将軍の徳川政権が、
    西日本には関白豊臣家を中心とする政権が成立し、日本が二分されていたかも?

    ま…まるで、民主党と自民党が日本を二分する二大政党制時代っ!

    この話の延長戦で幕末の話も妄想すると、なおさらワクワクできるんですが、
    長くなりましたので、今宵はここまでに致しとうございまする。m(__)m





  • 荒木町と会津藩主・松平容保公


    こんにチワワ、こぐまです。

    先日お昼を食べた会社裏手の、とんかつ鈴新さんで仕入れた情報。

    うちの事務所がある荒木町は、江戸時代には松平摂津守のお屋敷がありました。
    この地で生まれた息子さんが最後の会津藩主・松平容保公。
    白虎隊の悲劇で知られる会津戦争で、最期まで新政府軍に抵抗した猛将。

    京都守護職も務めた方で、新選組の名付け親でもあります。
    新選組は会津藩お預かりの部隊なので、いわば近藤や土方の上司。

    荒木町がそんな人の生まれ故郷だったなんて、今まで知らなかったな〜。

    歴史を知ると、人や土地の結び付きを学べて楽しいですね♪